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ERIKO OGAWA

「発想人」の視点

小川 絵梨子

演出家

_ PROFILE

大学卒業後、ニューヨークに演劇留学し、2004年、アクターズスタジオ大学院演出部を日本人として初めて卒業。10年、翻訳・演出した『今は亡きヘンリー・モス』で小田島雄志・翻訳戯曲賞を受賞。11年から日本に拠点を移して活動を本格化させ、千田是也賞や読売演劇大賞等、多数の賞を受賞するなど、いまもっとも注目を集める演出家として知られる。新国立劇場・演劇部門の次期芸術監督に内定している。

ライブという最高の贅沢

演劇と映画やテレビのような映像との一番の違いは、ライブであることだと思います。その舞台のライブ感がすごく好きです。裏方を含めて役者と観客が特定の時間を共有する。同じ時間にその場に一緒にいる     それはいま、とても贅沢なことです。その贅沢さがたまらない。物語性を持つことをはじめ、表現としての共通性はありますが、私の中ではすごく違う。現在はメディアの発達により映像文化が全盛ですし、非常に身近です。だからこそ、演劇の贅沢さが際立ってきているのではないでしょうか。

舞台をつくり上げていくときの、発想の原点となるのは、私の場合は基となる本ですね。知り合いの演出家には、舞台セットが発想の原点だと言う人もいます。舞台セットを考えることでそこで演じられる劇が浮かんでくると。私は本の筋を追いながら登場人物の造形を描き、関係性を推理して、劇としての構造を考えていきます。そもそも戯曲はとっつきやすいものではないし、即座に面白さを感じるようなものでもありません。でも、それが劇となり、役者が演じることで、ひとつの異世界がつくり出されていく。私自身、他の劇を観て「終わらないで!」と思いながら没頭してしまうことがあります。「演劇ってこんなに面白いのか!」と打ちのめされる…。その濃密な時間は、本当に贅沢だと思います。


「好き」と「強制」が発想を生む

信念として持っているのは、「私が面白いと思うものはみんなが面白いと思うに違いない」という感覚です。もし自分に発想力があるとしたら、その源でもあるかもしれません。そこは揺るがない。なぜなら、私は特異な人間ではないから。7歳のときに「風の谷のナウシカ」に出会って以来ジブリの大ファンだし、芥川賞より直木賞の作品のほうを好んで読むタイプ。一瞬サブカルに魅力を感じたけどすぐ飽きたし、要は王道の好みから外れていない。一般的な流行には大概、はまってきていると思います。このことを意識したのは、アートに携わっている人たちと交流を持つようになってからですね。特殊なものに魅かれ、特殊なものを表現していく人たちに対して、少しコンプレックスも感じたけど、自分の志向を確認できた。自分の好みに嘘はつけない。

私は演出家ですが、劇団を持っているわけではないので、依頼を受けて演出することが多くあります。この作品を演出してほしい、と。配役からスタッフまですべて決まっている場合もあります。自分がやりたい演目をプロデューサーにお願いして、一からつくり上げていくことは魅力的ですが、依頼されて演出だけをするのも好きですね。そこには「強制」があって、知らなかった本を読まなければならないし、よく知らない役者さんとも組まなければならない。それが自分を向上させてくれる。食わず嫌いなんですよ(笑)。強制される枠組みがあることで、初めて気づくことがいっぱいある。一方に自分の揺るぎない好みがあり、一方に強制されたものとの付き合いがある。その両者がぶつかり刺激し合うことで発想が生まれるのかもしれません。



フックがかかるのを待つ

依頼された作品を演出するということは、いわば設計図があるものをどう構築していくかを考える仕事。棟梁みたいなものです。実際、渡された本を読んで「こんなの好きじゃない」と思うこともあるのですが、読み込んでいく中で面白さを発見する。最初は好きじゃなくても、何か引っかかるものがあって、そこから発想も広がっていく。「フックがかかる」と自分で言っていますが、そういう感覚です。対象物と向き合うことで、自分の中にあるフックがかかる。そこから切り込んでいく。

一度フックがかかると、それまで見えなかったものが見えてきます。ひとつのセリフが違う意味を持ちはじめる。「ああ、こういうことだったのか!」と、その本の面白さに気づく。それは、フックにかかったものを手掛かりとした私の解釈ということになりますね。その解釈を、身体的な感覚として役者さんにわかってもらうようにする。そうやって作品に仕上げていくのです。ゼロからつくり出したものではないかもしれませんが、そこには何らかの発想があるような気がします。

ビジネスという枠に守られて発想する

日本で演出を学ぼうとすると、劇団に入って現場で修行するぐらいしか道がないのが現状です。他の芸術、たとえば音楽や絵画は大学で本格的に学ぶことができるのに、日本では演劇の専門学部がありません。「演劇を学ぶ」という発想がないように思います。一方、西洋では長い歴史の中で体系化された理論もあり、演劇は学ぶものというのが常識として存在しています。私は大学を終えた後、NYのアクターズスタジオで学びましたが、演劇を理論として学べたのは大きかったですね。演出していく上での‘道具’をもらった。たとえば粗筋とポイントを3行で書く、コンセプトを提示してコミュニケーションを図る…劇を構築していくための実践的な理論はもちろん、関わる人たちとの意思疎通の方法も学びました。「あなたはどうしたいのか?」と問われながら、自分で考え、発見する大切さを教えられました。

演出という仕事が好きなのは、人とつながることができるから。役者さんや他のスタッフとの付き合いの中で色々なものをもらっています。この仕事をしていなかったら、私は間違いなく引きこもりだったと思います。でも、演出はビジネスなので、そのビジネスという枠組みの中で他者と深く関わっていける。これも一種の強制ですね。強制的に社会と関わることになる。素のままなら不安と警戒心で一言も話せない自分が、演出家という役割で人の中に入っていける。仕事で発想するのも同じかもしれませんが、ビジネスという枠があるから自分が守ってもらえ、表現できる。「仕事でないから何でも自由にできる」のではなく、「仕事だからその枠に守られて表現活動ができる」のです。

新しさの追求を超え、発想を広く捉える

発想…。想いを発するっていい言葉ですね。「フックがかかる」は近いような気がします。 日本の演劇は、カウンターで発展してきた経緯があり、それまでの演劇を否定し、全く違うものをつくることが新しい表現として注目されてきました。演劇に限らず、新しいものを生み出す人たちを見て思うことは、「私にはその才能はない」という自覚ですね。そうした人に憧憬の念は抱きますが、一方で、新しいだけでは、実はたいして意味がない。とにかく新しいことをやらないと…と考えているなら、それは違うと思います。発想も、新しいことを生み出すだけが発想ではない、と考えるべきではないでしょうか。

自分の演出した作品に点数をつけるなら何点か、といった質問を受けます。ほとんどが100点満点で3点ぐらい。どんなによくても到底10点には届かない。あくまで自分の演出に対する評価ですが、すべてにおいて全然ダメだと、毎回、思います。でも、それでは先へ進めないし、関わってくれた人たちにも失礼なので、現実的な点数として60点とか70点と答えます。想いを形にするのは本当に難しい…。2018年から新国立劇場の芸術監督を務めることになりましたが、そこでは、目利きが問われることになります。一演出家とは違う立場で、色んな演劇を招聘し、世に出していかないといけない。自分の好き嫌いとは別の判断基準を持つことが求められます。でも、最終的には、自分の好みを外さないことがかえって監督としての仕事に役立つと信じているんです。不安もありますが、わくわく感も大きい。立場は変わっても、好きと強制を両輪として、深く入り込んでいくつもりです。

Photo:Yoshiro Hayakawa

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