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YOICHI OCHIAI

「発想人」の視点

落合 陽一

メディアアーティスト 筑波大学図書館情報メディア系助教・デジタルネイチャー研究室主宰

_ PROFILE

コンピュータとアナログのテクノロジーを組み合わせた制作手法による作品等、デジタルとアナログの境界を無くした自由な発想による研究・作品・思想で知られる。
広告やライブ演出を手掛けたり、テレビ番組への出演など、幅広い分野で活躍中。

考えること、手を動かすこと…ふたつの作業から発想が生まれる

発想法が書かれた本を、そのときは面白いと思って読んでも、何も覚えていないことが多くないですか。単なる発想法って意外と身につかない。考えることは頭の作業だけど、手を動かして動くものにする作業が一緒になっていないとダメだと思うんです。うちの研究室には段ボールが置いてあって、学生たちは議論したものをすぐに段ボールを切ってその場で形にします。システムについて議論するときやものづくりするときは形にすることで格段に議論が活発になり、発想が活性化していく。

古典的には、人はメモやスケッチで思考を外部に出し、コミュニケーションを図ってきました。でも、これだけ情報が多元化していると、それでは不十分。3Dプリンターや画像・映像の編集ソフト、初心者でも簡単にプログラミングできる開発環境等のコンピュータ技術の支えによって、アイデアを実体化することはコスト的にも労力的にも容易な時代です。それなら実際に完成形に近いモノをつくったほうがいい! 思考の軌跡の保存性が格段に高まるし、その経験が次の経験との掛け算を生みやすくするから。

イマジネーションを物質化できる時代だ

僕は、モノ(絵画・彫刻・メディア装置など何でも)をある空間に置いたとき、その空間が作品(インスタレーション)になると思っていて、そこからまた新たに何かが見えてきます。だから何かを捉えるには、最低限、置くべきモノが必要で、それが第一段階です。そこまで進んでいないと本当のアイデアは生まれてこない。形あるものと対峙したとき、人は急に頭が働くようになる。

昔はみんなひとりで作品をつくっていました。それは当然です。なぜなら、自分の発想は自分だけがリアルに自分の頭の中だけで理解していたから。発想を外部化するのは、最終アウトプット、つまり作品制作としてでした。いまはその前段階で外に出すことが容易にできます。そのことでコラボレーションが可能になった。ひとりの発想をみんなが共有できる。それは発想体質ときわめて近い。どれだけ早いサイクルで発想を形にできるか。発想からモノへ、モノから発想へ。形にすることで発想の連鎖が生まれます。それは多分映像でも広告でもものづくりでも何でもそうだと考えています。

発想は個人のものではなくなった

いまのコミュニケーションにおける理解力は、共感力に近い。共感とは相手の思考をどれだけトレースできるかによっている。そこでの合意は2次的な合意に過ぎません。もし、考えをそのままモノとして提示でき、それを挟んでコミュニケーションできるなら、イマジネーションのような、誰かの中にしか保存できないような抽象概念が減る。そのことで、より建設的に話し合っていけますよね。最大限の情報量で、相手に自分の発想や思考を伝えられるなら、思考プロセスの共有化が圧倒的に進む。そうなると、思考の著作権の価値は下がります。

僕は特許は古い時代の産物だと思うな。特許はアイデアに与えられます。アイデアだけだから、取ろうと思えばいくらでも取れる。それでは人類の発想欲求を下げてしまう。今はどれだけ独占したかよりどれだけシェアしたかによって評価されるべき時代ですから。

いたちごっこを楽しむのが21世紀の知性

僕の場合ですと、作品や物質化したものは、僕から離れてしまいます。「プラットフォームになる」とよく言うんだけど、先駆者として世の中を切りひらいていこうが、どんな新しい技術だろうが、出た瞬間それはプラットフォームの一部となるんです。創造性とはプラットフォームからはみ出すことです。はみ出して、外に出す。でも、それはすぐにまたプラットフォームにくっ付いて新しいプラットフォームになる。いたちごっこですね。そのいたちごっこを楽しめるのが21世紀の知性だと、僕は思っています。

個人の枠の中で積み重なっていくという思考のパターンから、はみ出してコラボする思考へ。その越境していく過程をどう楽しめるかが、インターネットに根ざした人類社会にとって、すごく大事なのです。

モチベーションを持って、無駄なものをつくれ!

発想体質になるためのトレーニングは、とにかく無駄なものをつくることです。できる限り完成形に近いものをつくるのがいいですね。メモやスケッチではダメ。アプリ開発者ならちゃんと機能するものをつくる。建築家なら模型にする。クスッと笑うようなものでいいから、頭の中にある発想を外部へ表現する。そして、視点を変えて眺めてみると別の興味が沸いてくる…。その循環が大事だと思っています。だって今はそのためのツールは明らかに安価になってきているわけですから、思考の共有プロセスだって変わってしかるべきでしょう?

中原中也の「ゆきてかへらぬ」という詩に「名状しがたい何物かが、たえず僕をば促進し…」という一節があります。青春を表した言葉だと思うけれど、そうした状況を長く保つことが発想体質を得るためには必要なのでしょう。これって人間の本質に近い。コンピュータにはモチベーション、つまり「名状しがたいが何かしたいこと」がなくて、人間にはある。人間と人工知能の区別がつかなくなると言われている中で、最終的には両者の違いはそこしか残らない。そのことをどう優位に考えていくかです。欲とは違う、名状しがたい何かが、純粋に人を発想へとかきたてる…発想こそが人を人と足らしめているなら、それってすごく面白くないですか。

Photo:Yoshiro Hayakawa

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